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1867年薩摩国鹿児島城下池之上町の薩摩藩士の家の三男として生まれた。「近代日本洋画の父」といわれる黒田清輝の生家も近所だった。
幼いころから絵が好きで、郷里の四条は平山東岳に画法を学んだ。1885年洋画を学ぶつもりで上京するが、伝統美術奨励が美術界を支配
し川端玉章に日本画を学ぶ事となった。のち24歳の時ようやく洋画に転向し、松岡寿・山本芳翠らに師事。1896年、1歳年上の黒田清輝の
推薦で東京美術学校の助教授に推され以後、没するまでの半世紀近くにわたり同校で後進の指導にあたった。また、白馬会結成に参加し
本郷駒込曙町で画塾も開いていた。1905年文部省から4年間の留学を命じられ渡欧、フランス、イタリアで学ぶ。ただし、パリからローマ
に移った直後の事故で、フランス時代の作品の大半を失っている。帰国後、教授に就任する。白馬会展には1896年の第1回展から出品を続
け、白馬会解散後も文展や帝展の重鎮として活躍した。1901年から6年間担当した与謝野鉄幹・晶子が刊行した雑誌「明星」や、晶子の歌
集『みだれ髪』の表紙や挿絵ではアール・ヌーヴォーの影響を如実に示している。晩年は宮内庁からの2つの依嘱、昭和天皇即位を祝い学
問所を飾る油彩画制作と、宮中花蔭亭を飾る壁面添付作品『紀州潮岬』の制作がきっかけとなり風景画の連作に挑んだ。1934年帝室技芸
員に任命。1937年最初の文化勲章受章者の一人となる。1943年脳溢血のため永眠。享年75。
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