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1875年京都に生まれる。子どもの頃から絵がたまらなく好きだった松園は、小学校を卒業すると、京都府画学校に12歳で入学するが翌年退学し、
鈴木松年に師事する。第3回内国勧業博覧会に出品した「四季美人図」が英国皇太子コンノート殿下の買上げとなり、翌年米国のシカゴ博覧会に
同作の出品要請が農商務省からあり、あらためて作成する。若干15歳にして一等褒状を受け、「京に天才少女有り」と世間から俄かに注目され
るようになった。新たな画法を学ぶべく師匠を幾度と変えていった松園は、20歳から京都画壇の中心人物・竹内栖鳳に師事する。「女のくせに」
とライバルの男性画家たちから激しい嫉妬と憎しみの象になったがひたむきに、孤高に絵筆を握り続けた。描かれる女性達はどれも凛として気品に
満ちており、画風はどこまでも格調高かった。社会の偏見とは敢然と戦った松園だったが、40代に入って年下の男性に大失恋し、スランプに陥っ
てしまう。1918年そこから生れた作品が『焔』である。清らかな美人画を描き続けてきた松園が刻んだ、女の怨念の世界。題材となったのは、光源
氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿。松園自身、「なぜこのような凄絶な作品を描いたのか自分でも分からない」と語
り、この作品の発表後、3年間展覧会への出品を一切断つ。しかし皮肉にもこの作品が松園の評価をさらに高めた。それまで彼女を単なる美人画描
きと否定していた連中は、凄まじい情念が込められた『焔』に、松園のすごみに圧倒された。1936年、代表作となる『序の舞』を完成させる。それ
は女性が描く“真に理想の女性像”だった。1948年女性として初めて文化勲章を受章する。子に日本画家、上村松篁。
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